ブラジルで介護をしようかな 1
私は結婚後、自営業として学習塾講師をした後に、国際NGOの会費や寄付金を集める資金調達の仕事をしました。
この仕事は営業職のような仕事だったのですが、毎年予算目標が立てられ、それが達成されたかどうかを常に問われるストレスの多い仕事でした。
一般企業の営業職などは、このようなものなのでしょうが。
この仕事はいつまでも続けられないと感じていたために、家のローンを返し終わるタイミングで介護職に転職しました。
福祉職について、若い頃から興味があり実際に目指そうとしたこともあったのですが、それが実を結ぶことはありませんでした。
そのため定年後の仕事は、ノルマ達成に追われることのない現場の福祉職をしようと思っていました。
父の死後、都内で一人暮らしをしていた母が認知症を発症しはじめ、かなりの距離の徘徊をしてしまった事をきっかけに、新松戸のグループホームに入居してもらうことになりました。前職の退職のタイミングで母がお世話になっているグループホームの経営母体の会社に問い合わせをしてみて、結果有料老人ホームのパートに採用となり、介護職として働くことになりました。
そして、この有料老人ホームの歓送迎会に出席したことが転機となりました。
退職する職員が、青年海外協力隊でペルーのデイサービス施設に派遣されるとの事で、その場で抱負など述べていました。
その時にはじめて介護という職種でもJICAが隊員を派遣している事を知りました。
調べてみると介護系の仕事も複数の国に広がりがあるのが分かりました。
その中で特に目を引いたのは、ブラジルでの日系社会の介護職。
日本語話者が多い日系人高齢者が入居している老人ホームでは、日本語での傾聴や日本式のケアを求められていました。これなら高齢者介護に経験の浅い私でもできる活動かもしれないと思いました。
ただ、すぐに応募することはできませんでした。
資格要件に介護福祉士が必須とされ、これを取得するためには介護職経験を何年か経た後で、国家試験に合格をしなくてはなりません。
またこの時期、認知症を患った母親がグループホームに入居していたこともあります。
母親を放って2年間の海外赴任は出来ないでしょう。
しかし重い認知症を患った母は私が介護職に就いてから3年程で亡くなってしまいました。
母にはもっと長生きをして欲しかったのですが、それも仕方がないことでした。
介護福祉士取得を経て、海外協力隊に応募する事にしました。
母が亡くなったのは2018年8月、そして介護福祉士の国家試験合格が2019年3月でした。
この事実は何ということはないように思われますが、実はその後のブラジルでの活動に少なくない影響を及ぼしました。
派遣先の日系ブラジル人高齢者施設「イペランジア・ホーム」は、JICAの海外協力隊員入れ実績の長い派遣先ではあるもののコロナ禍での数年のブランク後に私が派遣されたのですが、スタッフの一部や特に入居者の家族からは、「あの日本人は何者?」という空気だったのです。
そこで、赴任1か月後ぐらいの家族会の集まりに、つたないポルトガル語でですが、自分が何者であるかをアピールさせてもらいました。
「私は認知症で母を亡くした経験がある。認知症の親を持つ苦しみを私は十分理解できる。」と。
これはホームでの私の活動を大きくやりやすくしてくれるものでした。
海外協力隊への応募は、職種での資格要件(私の場合は介護福祉士資格と介護職経験)と英語のスコアが必要となります。
TOEICのスコアでも持っていればいいのですが、英検もTOEICも応募には間に合わないので、CASECというその場でスコアを出せるオンラインの受験をして何とか出すことができました。
英語がある程度分からないと、赴任先の言語を学ぶ事は難しいと判断されます。
いくら英語が少しは分かるとしても60歳半ばでポルトガル語を新たに習得するのは、困難を極めるだろうと当然思っていました。
実際1次試験の書類審査が通った後の2次面接では、面接官より
「なぜこの要請に応募したのですか?」
と聞かれて私は、
「日本語で仕事ができるからです。この歳で新しい言語を身に付けてそれで仕事をするなんてできません」と言ってしまいました。もうやけくそですが事実です。
もうこれで落ちても仕方がないと覚悟していました。
そうしたら面接官が、
「でも生活する上ではポルトガル語は必要ですよ」と言うのですよ。
あれ?もしかすると可能性がある?と思い、「必死で頑張ります!」と答えました。
この熱意が通ったのか前職のNGO経験がものを言ったのか分かりませんが、かくして高齢の海外協力隊隊員候補生が出来上がることになります。
高齢のJICAボランティアは「青年」が取れて、ただの「海外協力隊員」となるのです。
でもこの後、コロナという最大の危機が私を襲うのでありました。

うまくだるまを運べない入居者さんにはサポートをつけてもらった。
