ブラジルで介護をしようかな 2
母親が亡くなった翌年に介護福祉士に合格し、2019年秋に海外協力隊、ブラジル日系社会の介護職に応募して合格する事ができました。
そしてその翌年の三期生(秋)に訓練開始となるはずだったのですが、例のコロナ禍突入です。
派遣前訓練や派遣がどうなってしまうのかまったく不透明になり、3年が経過することになりました。
JICAには何回か取り合わせたけど、芳しい回答がなく半ば諦めていました。
ベリーズの首都で介護施設立ち上げをアセスメントから開始・・というのをオファーされましたが、私はケアマネでもなく一介の介護士、おまけに介護職になったのが定年後という経験の浅さ、専門性の無さです。ポルトガル語よりマシである英語で仕事をするにしてもです。
それを断り半ばあきらめかけていたら、ふと、応募要請ではないサンパウロ州スザノ市のイペランジアホームの介護職のオファーを受けました。
私の前に8代の隊員が既に派遣されている要請で、これは受けたいと思い応じることにしました。
2022年夏の事です。
合格したのが2019年秋募集。
そしてJICA駒ヶ根訓練所で訓練が開始されたのが、2023年1月です。
随分待たされました。
でも逆に幸いしたのが、コロナ禍後の訓練再開の2期か3期後だったため、訓練所入りする隊員候補生が40数名だった事です。通常は1期で200名を超えるのもザラという感じですから。
何が幸いするか分かりません。
ブラジルポルトガル語を学ぶ隊員候補生はたったの4名。
素晴らしい2名の先生に2対1で受けるのですから、本当に贅沢だし、有難い事でした。
ただ、私の場合、何かにつけて口から出る言葉が、「若けりゃ別なのに・・」でした。
語学はやはり厳しかったです。
とにかく何もかも覚えられない!
私と同じ派遣を待たされた隊員候補生のおばさんと同じくおばさんの私達二人は、どんどん習得して話せるようになっていく若い2名の隊員候補生を横目に苦戦に苦戦を重ねていくのでした。
辛かった!辛かったです。
でも2か月間、若い隊員候補生に混じっての合宿は、案外楽しかったです。
冬の駒ヶ根の景色も存分に楽しみましたが、やはり頭の片隅にあるのは、語学の最終試験です。
先生たちからは、結局モノにできずに最終試験で不合格となり、訓練所を去った候補生のおどしめいた話など聞くと、果たして私は合格できるのだろうかと思う毎日でした。
語学に関しては6週間ほど続いたのですが、先生が優秀なのでしょうね、一向に話せない私達に容赦ない鞭を振るいつつ、何とかしてくれました。
私は話すのはさっぱりでしたが、英語と同様に読み書きはある程度はできるようになったので、何とか最終試験を合格する事ができました。
そして、イペランジアホームに着任後、先生に教えてもらった事を活かして、私はたくさんの壁新聞を作りました。
デジカメで入居者さんが折り紙やペーパークラフトをしている風景を撮り、それにテキストを載せて作り、ホームのエントランスからの廊下に貼らせてもらいました。
私の活動部屋は作業療法室だったのですが、そこを「折り紙の部屋」とし、大勢の入居者にもらえばと思ったのです。


この2枚の画像は駒ヶ根訓練所のブラジルポルトガル語の先生にも送りました。
「先生の教えで、(まだ話せないけど)こういうものを作るのに役立ちましたよ、ありがとう!」と。
これは先生も喜んでくれて、後輩の訓練生に見せたそうです。
ここに書いたことは高齢者にとって重要な事だと思っています。
「手は第二の脳」なのです。
As mãos são o segundo cérebro.
イペランジアホームの入居者さん達は、折り紙やペーパークラフトを楽しんでくれました。
その経験が助っ人での私の活動になっています。
助っ人に関わる皆さんも、ペーパークラフトでなくても良いので、何らかの手作業をしてみませんか?
「脳に良い」ということもですが、何より楽しいですから。
しかし何より伝えたいことは、60歳半ばの経験豊富ではない私でも、このような国際貢献はできるという事実です。
語学という高いハードルがありますが、JICA海外協力隊には、さまざまな要請があります。
コミュニティ開発のような行政、公共・公益事業、農林水産、鉱工業、商業・観光、人的資源、保健・医療、社会福祉等多岐にわたります。
職種によっては69歳まで応募できます。定年退職後に自分が長年関わって来た技術や経験を途上国で活かしていく、それはとても得難い経験となると思います。それこそ第二の人生という感じですね。
語学については心配ありません。優秀な講師陣が訓練所でみっちりと指導してくれます。
立場はボランティアですが、家賃、生活費、活動費はJICAが出してくれます。
国によりますが、月々に至急される生活費は結構残るので、それを使って任地の国内外を旅行する隊員も多いです。
定年退職後、それまでの自分の経験を途上国の発展のために生かす2年間、それもまた楽しい老後となるでしょう。
私のこの経験は日本にいたら出会わなかったであろう大勢のブラジル人の友達と今も交流が続いていくことから、本当に宝のようなものであったと思っています。
